さて、前回、「樅型」駆逐艦と呼ばれているものの中には「蔦型」と類別されている艦が含まれている、と書いた。
この1か月、その違いをまとめていたのだが、意外に相違点が多く、文字だけでまとめていると自分でも訳がわからない。 よって、図に描き起こすことにした。
遅かれ早かれ船体延長工作のための1/700原寸図が必要になるので、原寸図を描く序でに識別点も一緒にまとめてしまおうという腹づもりである。
元となる図面は公式図のスキャンがあるとよいのだが、生憎入手できた資料中には無し。
手持ち資料の中では最も原図に近そうなものとして、畑中省吾氏作図の「艦船模型スペシャル No.17」に掲載されている1934年 (昭和9年) 時の芙蓉の図面[1] を下敷きとした。
縮尺から逆算すると件の全長も正しいようなので、それなりに信憑性は高いと思う。
「若竹型」の側面図は芙蓉の図面を元に、1/700で省略する要素を除き、写真で明らかに形状が異なる個所を写真準拠で修正した。
また、修正後の「若竹型」の図を基に、「樅型」「蔦型」との相違点を加筆修正し、各艦形の図面とした。
以下に、図をもとに各型の相違点を簡単に列記してみる。
1. 船体舷窓の配置
艦首側は「樅型」「蔦型」「若竹型」でそれぞれ異なる。
艦尾側は「樅型」と「蔦型」は同じで「若竹型」だけ異なる。
また、いずれも左右舷非対称である。
2. 艦橋基部の形状
「樅型」「蔦型」「若竹型」でそれぞれ異なる。
「樅型」では平面型が角ばっており、前端左右に面取りがある。
また、「樅型」のみ、舷側からつながる側板の前後長が長いのが目立つ点。
また、その側板の上端から羅針艦橋床へ伸びるトラスの形状が異なる。
「蔦型」では、2層目の最上甲板の構造物がやや前後に広くなり、上甲板・最上甲板とも前端の平面形の角が取れ、円弧状になっている。
真横からみると前方が1層目と2層目の間で段差になっているので、「樅型」や「若竹型」と識別しやすい。
「若竹型」では前方の段差は再び無くなり、前後長も「樅型」と同程度に戻る。
ただし、前端の平面形は「蔦型」のような円弧状で「樅型」とは異なる。
3. 羅針艦橋の形状と材質
「樅型」「蔦型」「若竹型」でそれぞれ異なる。
「樅型」では角ばった平面形で、前面の風防ガラスの窓は3枚で垂直に取り付けられている。
側壁、天蓋ともキャンバス張り。
「蔦型」では、前述の艦橋基部の平面形に合わせるように、前端が弧を描いている。
また、前面のガラス面がやや前傾している。
側壁、天蓋ともキャンバス張り。
「若竹型」では再び「樅型」のような角ばった平面形に戻る。
しかし、前面の風防ガラスの窓は2枚となり、「樅型」に比べて先端が尖った印象になっている。
「蔦型」同様に前面のガラス面がやや前傾。
天蓋はキャンバス張りだが、側壁は金属製の固定ブルワークになった。
また、側面前方のガラス窓が「樅型」「蔦型」に比べて枚数が増え、後ろまで延びている。
4. 艦橋頂部の測的所? の形状と中身
羅針艦橋の一層上の探照燈や測距儀のある場所のことを言いたいのだが、正式名称がわからないので仮に測的所とする。
「樅型」「蔦型」の前期と後期、「若竹型」でそれぞれ異なる。
「樅型」では75cm探照燈が設置されており、新造時の平面形は恐らく円形。
各型の中で最も前後長が短い。
昭和に入って甲板を前方に延長して測距儀を設置したようだが、全艦への改正かは不明。
「蔦型」の内、「菊」から「藤」までの基本計画番号F37A建造艦 (以下、「蔦型」前期艦) では、甲板が「樅型」よりやや前方に伸びて広くなった。
75cm探照燈の前方に測距儀を設置している。
「蔦型」の内、「蔦」以降の基本計画番号F37B建造艦 (以下、「蔦型」後期艦) では、竣工時は前期艦と同じ長さの甲板で、前部に40cm信号燈、後部に測距儀を設置している。
昭和に入って間もなくの頃、後方に拡張され、後端が前檣すれすれの位置まで達している。
各型の中で最も前後に長いので識別のポイントになる。
また、その時期に40cm信号燈を測距儀に換装した艦もあるようだが、全艦への改正かは不明。
「若竹型」では竣工時は「蔦型」後期艦と同様の甲板形状で、前部に40cm信号燈、後部に測距儀の組み合わせ。
しかし、直後の大正末年頃には「蔦型」後期艦同様に測距儀2基設置になっている。 (もしくは、「芙蓉」のみ信号燈装備で竣工、他艦は測距儀2基装備で竣工の可能性もある)
「蔦型」後期艦と異なり、後方の拡張はされず (厳密には、「若竹」だけ延長されている)、「蔦型」前期艦と比べると、甲板全体の位置がやや前よりになっている。
「艦スペ」の図面を見る限りでは、前が1.5m、後ろが2m測距儀のように見えるが詳細不明。
5. 前檣の位置と形状
「樅型」「蔦型」「若竹型」でそれぞれ異なる。
「樅型」「蔦型」は竣工時、「若竹型」に比べトップ檣が高かったが、1924年 (大正13年) 頃に全艦「若竹型」と同程度に低められている。
「樅型」の前檣は各型の中で最も前方に設置されており、信号所の前端、艦橋構造物の直後すれすれに位置している。
「蔦型」の前檣は艦橋の項で触れた船首楼甲板構造物の前後拡張のためか、信号所の中ほどまで設置位置が下がった。
「若竹型」では設置位置が更に後ろに下がり、信号所の後端になっている。
また、「朝顔」以降の後半4隻はトップ檣の見張所の位置が、それまでの下段横桁の上から、横桁下へ移動している。
6. 機銃と探照燈の装備位置
「樅型」「蔦型」の前期、「蔦型」の後期以降でそれぞれ異なる。
「樅型」では、船首楼甲板後端と後部煙突直後の甲板室上に各1基ずつ6.5mm機銃を装備し、前述の艦橋頂部に75cm探照燈を設置している。
船首楼甲板後端には機銃装備のための張り出しがあり、「蔦型」以降とのわかりやすい識別点である。
煙突後ろの機銃には円形のブルワークが設けられている。
「蔦型」前期艦では、機銃装備位置が艦橋両舷の船首楼甲板前端に移った。 探照燈位置は「樅型」同様艦橋頂部。
各型の中で唯一、後部煙突直後の甲板室上に何も設置されていない。
「蔦型」後期艦と「若竹型」では、機銃装備位置は艦橋両舷のままだが、探照燈は後部煙突直後の甲板室上に移動した。
探照燈には、「樅型」の円形の機銃ブルワークとは異なり、左右方向に長い長円形のブルワークが設けられている。
7. 主砲の防盾形状
「樅型」「蔦型」の前期と後期、「若竹型」でそれぞれ異なる。
「樅型」 では、全体が角ばった初期型の盾を装備しており、その中でも天蓋が無い極初期の形式である。
また、「樅型」と「蔦型」は重量軽減のためか、2番~4番砲の盾の裾部分が取り外されている。
「蔦型」前期艦では、初期型の盾だが天蓋がついている。
「蔦型」後期艦では、角に丸みがあり、中段にゆるい折れ角の付いた後期型の盾を装備している。
「若竹型」では、「蔦型」後期艦同様に後期型の盾を装備しているが、盾の裾はすべての砲についたままである。
恐らく、上記の7つが「樅型」~「若竹型」の外見上の主な識別点となると思う。
書いてみたら全然簡単じゃなかった (笑)
それ以外の箇所、たとえば、掃海具の装備状況や、前部煙突の延長有無などは、施工当時の所属駆逐隊ごとや、個艦ごとの差異となるため、各型の識別にはならないはず。
今回の記事の参考書籍の内、「68K本」こと「写真 日本海軍全艦艇史」は私の蔵書ではなく、隣の区の図書館で借りたものなのだが、とにかく巨大で重い。
重さが「68K本」ならぬ「6.8K本」なんじゃないかっていう。
借りてからの帰途、風呂敷で体に無理やり縛り付け、通勤ラッシュの中を直立不動で耐えるのは辛かった……
そして、駅からの帰路、背中に背負って歩くと、こんどは重さで肺が圧迫されて悶絶。
とどめは、自重で傷むのでスキャン中は本を支えていないとならなかったのだが、休日に丸2日掛けて必要なページを撮ったら二の腕と肩が筋肉痛になった。
これはもしかして、引籠って運動不足になりがちなオタクへの鍛錬となるよう、福井御大の仕掛けた愛のムチか。
御大、恐るべし。 ……んなことはないか。
参考書籍
- 畑中 省吾「駆逐艦『若竹型』 昭和9年 (1934年) 時の『芙蓉』」『艦船模型スペシャル No.17 日本海軍 駆逐艦の系譜・1』モデルアート社、2005年、87頁 ^1
- 福井 静夫『写真 日本海軍全艦艇史』KKベストセラーズ、1994年、537-550頁
- 中川 務「八八艦隊計画の駆逐艦」『日本駆逐艦史 世界の艦船 1992年7月号増刊』海人社、1992年、56-65頁
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年、182-190頁
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』光人社、1990年、144-149頁
全て敬称略。