今回は、昨日の記事を発端として、幾つか芋蔓式に見つけた「天龍」の公式図面が、意外と巷間に知られていないようなので、まとめて紹介したいと思う。
何故、「番外編」か……それは、見つけた資料が全て工作を終えてしまっていた部分だからである。
嗚呼、半年前に入手できていれば、どんなに楽だったことか!!
事の発端は、前回の記事について興味を持っていただいた「わん娘マスター」氏のツィートである。
春園燕雀氏は『1921年以前に起工された「天龍型」「球磨型」「長良型」の各艦は「折れ天蓋」、1922年に起工された「夕張」と「川内型」は「平天蓋」と推測される』とした。そこで例の本を読み返したら、面白いことに気づいた。「歴史群像」太平洋戦史シリーズvol.32のP132・133。
— わん娘マスター (@wankomaster) 2014, 6月 8
(中略)
@wankomaster この「砲架」に「盾」が含まれているかどうか不明だが、時期的に盾の形が変わったのは、呉工廠に砲架の生産が集約されたことが理由なのではないか? と愚考した次第。
— わん娘マスター (@wankomaster) 2014, 6月 8
上記発言を踏まえ、学研本の当該記事を再読すると、「天龍・球磨」は「D型砲架」、「夕張・那珂型」は「D3型砲架」、との記述[1] がある。
これは、「14cm単装砲 D3 砲架」等でググってみれば砲架の生産状況と形状の関連性が判るのではないか、と思ったたが、情報は無し。
しかし、アジ歴で同様の検索を掛けたところ、14cm単装砲はもとより、他にも「天龍型」に関する思いもよらぬ情報が得られた。
今のところ、インターネット上で、それらに対する言及を見かけず、意外と知られていない情報ではないかと思ったので、記事としてまとめてみた。
14cm単装砲の砲架形式と形状、装備状況について
まず、14cm砲関係のキーワードで、新造時の「天龍」の2番・4番砲とその周辺の図面を発見した。
「天龍」2番砲とその周辺:
50口径3年式14糎砲 D型砲架 (露天砲) 照準演習機装備図 第2番砲 [2]
「天龍」4番砲とその周辺: 50口径3年式14糎砲 D型砲架 (露天砲) 照準演習機装備図 第4番砲 [3]
これにはD型砲架と明記されているうえ、「折れ天蓋」型の砲盾が描かれている。
「50口径3年式14糎砲 D型砲架 (露天砲) 照準演習機装備図」より、新造時の「天龍」の2番砲側面。明らかに折れ天蓋型である。
また、敷設艦「厳島」に装備された同砲の図面も発見、こちらはD1型の表題があり、「平天蓋型」である。
「厳島」主砲とその周辺:
50口径3年式14糎砲 D1型砲架 照準演習機縮射弾装置装備図 [4]
前述の学研本の記述と併せると、D型砲架のサブタイプと装備艦の関係は下記のようになる。
D型 | 天龍型・球磨型 |
---|---|
D1型 | 厳島 |
D3型 | 夕張・川内型 |
軽巡はいずれも大正年間の建造だが、「厳島」は「川内型」よりも新しく、起工は1928年 (昭和3年) である。
備砲の形式と艦齢の関係が一致しない例は、駆逐艦用の三年式12cm単装砲などにみられる。
友鶴事件後の水雷艇の性能改善工事にて同砲が新たに搭載される際、初期型の砲盾を搭載しており、結果、建造時期の古い「睦月型」駆逐艦などより旧式の砲盾になってしまっているケースなどだ。
これについては、特に珍しいことではない。
完全な推測ではあるが、同砲は大正期建造の襟裳型などのタンカーにも搭載されており、また、彼女らは平時では砲を降ろしていたことから、「厳島」建造時、たまたま返納で在庫になっていた旧式砲架が使用された……辺りが理由ではないかと思う。
現状では、D2型砲架の装備艦は有ったのか、また、「長良型」の装備した砲架は何型か、といったあたりが不明で、当初調べるつもりだった、砲盾形状変遷の経緯と製造工廠との相関なども判らぬままである。
願わくば、この記事をきっかけに、興味を持って調べて戴ける方が出てくれば幸い (他力本願)
「天龍」新造時の、平面形状の一部が判明
上記14cm単装砲の図面には、砲が設置されている付近の甲板平面も描かれている。
製作時には不明だった、「天龍型」の後部甲板室の幅や4番砲座の直径、船首楼甲板後端の張り出し形状が判明した。
「50口径3年式14糎砲 D型砲架 (露天砲) 照準演習機装備図」より、新造時の「天龍」の2番砲と船首楼甲板後端付近の平面。
「50口径3年式14糎砲 D型砲架 (露天砲) 照準演習機装備図第4番砲」より、新造時の「天龍」の4番砲・砲座と後部甲板室後半の平面。
そして更に、同図面が含まれていた「返還書類」群の中を「図面」で検索すると、これまた散々悩まされた、竣工時の「天龍」艦橋の3面図が含まれていたのである!
「中口径砲方位盤照準装置用 照準演習機装備」より、新造時の「天龍」の羅針艦橋平面。
新造時の図面なので、大戦期とは大きく形状が異なるものの、司令塔の直径や前檣との位置関係など、基本形状を把握するのに大きく役立つことは疑いない。
以前紹介した、二等駆逐艦とされていた1942年 (昭和17年) の「天龍」の艦橋の写真 [6] と併せると、従来、正攻法で入手可能な資料では判らなかった部分が、かなり補完されるのではないだろうか。
「一億人の昭和史 [10] 不許可写真史」より、二等駆逐艦として紹介されていた、1942年 (昭和17年) の「天龍」と思しき写真。
ちなみに、今回見つけた図面と、製作中の「天龍型」用の自家製製作図面を照らし合わせてみた結果……。
後部甲板室と羅針艦橋の幅、4番砲座と司令塔の直径の4か所は、1/700換算では完全一致、船首楼甲板後端の張り出しと、前檣主柱の位置は0.5mm程度の誤差だった。
割と違うのは艦橋後端の幅で、絞り込みが足りず、1mmほど幅広になってしまっている。
しかし、これを直すと、三脚楼支脚の脚間が変わってしまうので、前檣諸共作り直しになる。
悩ましい。
「平賀譲デジタルアーカイブ」閉鎖と、「天龍型」船体断面の公式図面について
2014年 (平成26年) 10月14日追記: 2014年 (平成26年) 10月10日付で「平賀譲 デジタルアーカイブ」が再開された。
簡単に中身を見た限りでは、「天龍型」・「球磨型」関連は、ほぼ以前の公開資料が引き継がれているのではないかと思う。また、従前より検索画面の表示や操作性が改善されて使いやすくなっている。
緊急閉鎖から5か月、再公開に尽力された関係各位に、心から賛辞と謝意を捧げたい。
また、それに伴い、下記の一時公開は終了とする。
同資料については、平賀譲 デジタルアーカイブ内の資料一覧ページから「カード目録」を「天龍」で検索して閲覧・入手が可能だ。
さて、本稿の締めくくりとして、残念な話がある。
「天龍型」の船体形状を把握する上で、一般入手可能な (恐らく現状唯一の) 公式図面として貴重な存在であった、「平賀譲デジタルアーカイブ」が2014年 (平成26年) 5月15日付で突然閉鎖してしまった。
再開の目処など立っていないようなので、暫定措置として、私が同アーカイブより入手した図面データを一時公開することとする。
残念ながら、すべてのデータを保存していた訳ではないが、少なくとも、今作とほぼ同程度の解像度の模型を作るのに必要な図面は揃っている筈。
また、各図面の表題については特に記録していなかったので、実際の画像中の表記等を各自で確認しつつ、活用されたし。
「平賀譲アーカイブ」所収・軍艦「天龍」船体断面図等、詰め合わせ (11.5MB)
著作権については、下記理由にて、保護期間を終了しているものと判断した。
尚、あくまで暫定措置であり、DLによる不具合などの対処が私個人ではできかねるため、同アーカイブ再開後は公開を停止する予定。
あしからずご了承いただきたい。
さて、製作開始当初は、ほぼ全てが想像造形になるかと考えていた「天龍型」だが、部分によっては意外と詳細な資料があったのに驚かされる。
今の艦船模型特需なら、そろそろ某社から新キットが出たりするんじゃなかろうか。
願わくば、精神衛生上、私が完成した後にして欲しいが (笑)
2014年 (平成26年) 10月14日追記: まさか上記の与太話が実現するとは……
参考書籍
- 国本 康文「50口径3年式14センチ砲」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ32 軽巡 球磨・長良・川内型』学習研究社、2001年、136頁 ^1
- 「特集 艦艇の軍事機密」『一億人の昭和史 [10] 不許可写真史』毎日新聞社、1977年、144頁 ^6
参考ウェブサイト
- 『国立公文書館アジア歴史資料センター』
- Ref. A03032236600「50口径3年式14糎砲 D型砲架 (露天砲) 照準演習機装備図第」国立公文書館所蔵、横須賀海軍工廠、1918年 ^2
- Ref. A03032236800「50口径3年式14糎砲 D型砲架 (露天砲) 照準演習機装備図第4番砲」国立公文書館所蔵、横須賀海軍工廠、1918年 ^3
- Ref. A03032236000「
50口径3年式14糎砲 D1型砲架 照準演習機縮射弾装置装備図」国立公文書館所蔵、海軍艦政本部第一部、1931年 ^4 - Ref. A03032236400「中口径砲方位盤照準装置用 照準演習機装備」国立公文書館所蔵、横須賀海軍工廠、1920年 ^5
全て敬称略。