今回は、煙突や後部主砲まわりを構成する上構関係のディテールアップ。
基本的なバランスは旧キットと比べるまでもなく良い出来なのだが、細かく見てゆくと意外と手を入れたくなる箇所がでてくる。
煙突本体はシルエットを整理し、煙突周囲は密度を高める
前後の機銃台や探照灯台など、煙突周囲の諸装備については1942年仕様について考えた回にて述べたのでそちらを参照してほしい。
煙突本体で気になるのは頂部で、キノコ状のシルエットになっているのがしっくりこない。ここは一旦接着したあと側壁を面一に整形し、いつものようにスジボリでジャッキステーを表現した。
写真の通り、実物は割と無個性なかたち。[1] なぜこんなアレンジにしたのか、よくわからん……。
天面は珍しく雨除け格子ではなく5,500t級風に整流仕切が表現されているが、ちょっと浅いので刳り貫いてプラ板で仕切を入れ直した。
煙突頂部は抜いてやると、やはり「らしい」感じがする。雨除け格子は寄りの写真でなければ見えないので、1/700では省略するのが私の常。
ジャッキステーを凹モールド化する際、側面の蒸気捨管を削ってしまったのでプラ棒で作り直し。ついでに右舷前面に垂直梯子をエッチングで追加した。梯子として売られているものを使っても良いのだが、入手が楽なので専らトライツールの0.32mm角メッシュを切って使っている。
2番煙突脇には、円材置場らしきものがあるので0.3mmプラ棒で再現。また、1番煙突右舷と1・2番煙突間左舷には、収容した舷梯を再現した。実物の写真ではキャンバスで包まれているのであろう、白っぽい塊に見えるのでそのように。
このあたりは色彩的に単調になりがちなので、位置的に丁度アクセントができて良い。
この写真でしか細部が判らんので、正体はやはり謎。[2] 単艦式掃海具?
スクラッチの時、よく判らないので謎の箱を置いた3番煙突直後は、新キットでも似たような謎の箱になっててちょっと笑ったのだが、今回あらためて写真を観察すると円筒を並べたものにキャンバスを掛けたように見える写真があったので、プラ棒とアルミ箔で再現してみた。
この謎箱、1942年仕様では使わない指示となっているが、後部機銃台位置を後ろにずらすと撤去しなくとも良くなる。
後檣とアンテナはスリムに、周辺は要素を足してメリハリを
後檣は前檣ほどアレンジが強くないので、ほぼキットのサイズのまま真鍮線と伸ばしランナーに置き換え。
主柱が上0.3mm、根本0.5mmのテーパー付きで、横桁と斜桁が太さ0.2mm。
スクラッチ版より再掲。
後檣後ろの後部操舵室らしき部屋は、右舷後部に梯子をつけるための張り出しがあり、左右非対称。[3] [4] キットでは再現されていないので、プラ板で右舷を拡張して梯子を追加。
後部操舵室右舷の張り出しの他、4番砲座後面など、全体に省略されているディテールを追加。
探照燈にはマントレットを表現してみた。0.3mmプラ棒をラジオペンチのギザギザ部分で軽くつまんで、断面を歪ませたものを貼りつけている。
装備方法としては、真珠湾の「阿武隈」[5] のように全体を覆うのが一般的だが、駆逐艦「彌生」で硝子面を残して覆っている[6] のが面白かったので真似てみた。
ソロモン夜戦の際の「天龍」は、もしかしたらこんな感じだったかもしれない。
左が真珠湾の「阿武隈」、右が日華事変ごろの「彌生」。
ループアンテナはスクラッチの際にはプラパーツの中を抜いたが、今回は手持ちを使いきったのでプラ板から作ってみた。
プラペーパーに0.8mmの穴を開け、その周囲を切り込んで約1mm径の輪を作成し、1箇所を切り欠いてCの字にする。
見た目より難易度は低いが、とにかく根性は試される。
土台部分にプラ棒や伸ばしランナーで脚を組んでから、先の「Cの字」ふたつを互い違いに取り付ける。脚は金属線の方が丈夫なのだが、プラ材の方が接着強度や角度調整で勝る。ひとつめの「Cの字」を充分乾燥させてからふたつ目を付けるようにすれば、比較的やりやすい。
エッチングを使うと云う選択肢は、難易度的にも経済的にもナシ。
船体に砲座を接着する前に、甲板に下穴を開けておくと楽。
砲座左右の張り出し下には3本ずつ支柱が立っているので、0.3mmプラ棒で再現。
主砲の旋回軸の真横とその前後約2mmの位置にあり、4番砲の最後尾の支柱は機雷敷設軌条と干渉するため、他の支柱よりやや間隔が狭い。
前回の艦橋の回に比べると、煙突から後檣付近にかけてはアレンジの少ない素直な解釈をしており、専らディテール面の調整のみである。
前述のとおり、1/700艦艇キットのお約束であった煙突の雨除け格子のプラパーツ化を廃したのが特徴的で、近年ではフジミの駆逐艦などにもみられる。
そのまま仕上げても側面から見たときのシルエットが美しいし、エッチングで雨除け格子を再現するにも加工の手間が少なくて済む。そのまま、今後の艦船模型のスタンダード表現になってくれると嬉しいのだが。
参考書籍
- 『日本巡洋艦史 世界の艦船 1991年9月号増刊』海人社、1991年、98頁 ^1
- 「『天龍』『龍田』」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ32 軽巡 球磨・長良・川内型』学習研究社、2001年、74-75頁 ^2 ^3
- 田村 俊夫「日本海軍最初の軽巡『天龍』『龍田』の知られざる兵装変遷」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ51 帝国海軍 真実の艦艇史2』学習研究社、2005年、93-94頁 ^2
- 「軽巡洋艦『阿武隈』写真説明」『写真 日本の軍艦 第8巻 軽巡I』光人社、1990年、256頁^5
- 『歴史群像 太平洋戦史シリーズ64 睦月型駆逐艦』学研マーケティング、2008年、55頁 ^6
参考ウェブサイト
- 「Japanese cruiser Tenryū」『Wikipedia, the free encyclopedia』、2014年2月閲覧 ^4
全て敬称略。
こんにちは由良之助です。HJ誌掲載の「荒潮」を拝見しました。なにげにヤマシタホビー「響」のキット評も載っており、もう立派なモデルライターです。
・・・とは言うものの、ハセガワ「天龍」「龍田」が掲載されたら帯状疱疹、「荒潮」が出たら抑鬱、とは大分無理をなさっているようで心配になります。
やはり締め切りが設定されるのは負担になっているように感じますが、まずはお体御自愛ください。
「荒潮」の感想文はもう出来ておりますが、ここは天龍級の記事ですから「荒潮」の記事がアップされた際にコメントするつもりです。
由良之助さま
いつもコメントありがとうございます。
実はホビージャパン誌の作品は、諸般の事情にて普通の商業ライターさんと違い、持ち込みに近いような形態で作ってまして、明確な締切はないのです。
今年はやたら体調を崩すのですが、まあ理由ははっきりしてまして、家の都合で数年内に田舎へ引っ越さねばならんのですが、職のあてがついておらず、そのストレスの蓄積が限界を超えてしまったようです。
田舎暮らしを楽しめる気質なら良いのですが、もとより田舎が嫌で東京に出てきているくらいで、田舎での辛い日々を思い出すたび滅入ってしまいます。
さて、ちょっと暗くなってしまいましたが、荒潮の記事も出来るだけ早く掲載したいと思っております。
ただ如何せん、天龍の方を先に完結させねば、進行中のスツーカも含め連載並行が過ぎて収拾がつかなくなってしまうので、思案しております。
ウィーゴや、砲艦嵯峨のように、前後編くらいでまとめられれば、ササっと出してしまえるのですが、そのあたり段取っているうちに鬱になってしまったという。
幸い、鬱の方は寛解に近づいてきておりますので、できるだけ早めに荒潮の記事を出したいとは思っておりますが、タイミングとしては8月終わりに前後編まとめてが良いかなと思っております。
これは、本を買っていただいた人への仁義と云うか、発売中の雑誌と同じ作品でより詳細な解説を無償公開するのは、申し訳ない気がしてまして。
……天龍の方は、最初から長丁場が見えていたので、逆に雑誌で興味を持っていただいた方へ情報を補完できるよう、早めに始めていたのですが。
そういった訳で、長くなってしまいましたが、荒潮の記事、今しばらくお待ちいただけましたら幸いです。
こんにちは由良之助です。前回はすぐにお返事を下さった上にご自身の心情まで吐露していただいて恐縮です(こちらがお体を気遣うようなことを書いたためでしょうか)。
さて、先日は突然お声を掛けてしまい失礼いたしました。
「荒潮」は結局HJ誌の写真だけでは気が済まず、展示中ということなので見に行ったのですが・・
秋葉原工作室に滑り込むと皆様製作中なのはいつも通りですが和装姿の人物が目に入ります。頭の中では
秋葉原工作室+和装姿の人物=春園燕雀様
と、表示されます。まさか製作者御本人が・・と動揺しますがよく考えるとここで鉢合わせをしても何の不思議も無いわけで・・と完全に挙動不審となり、とりあえず工作室を利用して聞き耳を立てます。皆様とオタクトークを展開中でしたが、理知的な受け答えでありながらサックリ切り込む様子はツイッターでの呟きを連想させます。これはもう間違いないということで、さりげない風を装って(どう見ても唐突だったと思いますが)声を掛けさせていただきました。
春園燕雀様は快く対応してくださいましたがこちらは最後まで挙動不審でした。
もちろん「荒潮」はしっかり拝見したので記事がアップされたらコメントさせていただきます(目の前の御本人に直接言えばよさそうなものですが・・。事前にここで何度かやりとりがあったので少しはましでしたが、人見知り吃音等いろいろなコミュ障持ちの身では既に精一杯でした)。
由良之助さま
先日は驚きの邂逅でありました。私も人見知りのコミュ障ゆえ、ちゃんとしたご挨拶もできず失礼いたしました。
2度目からははもう少しマシになるかと思いますので、また見かけたら声をおかけいただけましたら幸いです。
ところで、あの時喋っていた方達と艦船模型沼の会と云う不定期オフ会に参加してまして、大体あんな事を喋りつつ製作会や展示会をしております。
人気どころの戦艦空母だけ並べてドーン! と云う方は少なく、海外の妙なガレキを持ち込んだり、ジャンクキットで謎の架空艦を作ったりと、マニアックに突き抜けた人が多いので、由良之助さんの5500t級語りなどは楽しめる人が多いのではないかなあと思っております。
ツイッタァアカウントさえあれば参加できますので、ご興味あればぜひ。
それではまた。