竣工時のかたちと色を探ってみる – 1/700で戦艦三笠をつくる: 後篇

今回は三笠後編、竣工時として仕上げるための変更点と、カラーリングの不明点について考えてみる。
航空機の無い時代ゆえ、上空からの写真がなく、知名度の割には水平面の色調の手掛かりが少ないのが意外だった。


竣工時に改造する

竣工時と日露戦役時の違いは、船体に集中している。上部構造物はほぼ黄海海戦時のままのようだ。

喫水線上端に沿ってショアリングバンドのモールドがあるが、竣工時はキットのモールドより長く、錨鎖口の下まであった。[1] これは竣工後しばらくして、錨をひっかけてしまうために短縮されたらしい。

「三笠」の艦首: 1902年 (明治35年)
これは竣工時に限らないが、菊花紋章が異様に大きいので静協Wランナーのものに置換。

逆に艦尾はやや長すぎる[2] ので、スターンウォークの前端あたりまで短縮

「三笠」の艦尾: 1902年 (明治35年)
艦尾副錨は竣工時ならキットのままでOK、日露戦役時には撤去されていたようなので注意。

竣工時のスターンウォークには天蓋がある[3] のでプラ板で天蓋を追加。これは日露戦役時も同様だが、下半分の手すりには斜め格子がついているので、ファインモールドの長方形メッシュ1.6×0.9mmとハセガワトライツールの菱形メッシュLサイズを組み合わせてそれらしく再現してみた。

「三笠」の艦尾: 年次不明
出典不明のため年次不明としたが、建造中の写真なので1902年 (明治35年) 以前なのは確実。スターンウォーク手すり部は厳密には長方形1マスに菱形4つ分のピッチとなるのが正しい。

防雷網をしまうネットラックは、キットでは純正エッチング使用を想定してか付け根部分しかない。日露戦役時以降は純正エッチングのようなハシゴ状だが、竣工時は抜けてないただの無垢板なので、エバーグリーンの0.25×0.75mmプラ棒で再現。防雷網本体については前回説明した通り。

「三笠」のネットラック
結局この上から防雷網を載せてしまったので、純正エッチングの方が楽だったかも……。

砲塔天蓋は黒かったのか?

塗装は、1901年 (明治34年) 付の艦船造修規則によると上甲板以下と煙突、マストが黒、上甲板以上が鼠色[4] とされているが、後年の所謂軍艦色の鼠色と異なり、写真を見ると煙突の識別帯の白線と区別がつかないほど淡い。
また、主砲塔天蓋やバーベット上面がハセガワの1/350版や他社の完成品ミニチュアなどでは黒塗装されているが、艦船造修規則にはそのような記載はない。
ではこの黒指定はどこから来たのだろうかと云う話だが、おそらく1902年 (明治35年) 撮影の後方からの写真[5] が元ネタではないかと思う。

「三笠」の後部主砲: 1902年 (明治35年)
確かに、この1枚だけでは天蓋もバーベットも黒く見えるが……? そして、砲塔や艦橋は「鼠色」の筈だが、見た目にはほとんど白。

だが、別角度のこの写真をみると天蓋は白く見えるので、実際は規則通りの灰色で、先の写真は角度と影のマジックで黒く見えているだけではないかと思う。
バーベット上面についてはこのカットでも暗色なので暗色は確定だが、黒塗装ではなく鉄甲板の方が理にかなっているように思う。

「三笠」の後部主砲: 年次不明
先ほどのスターンウォークの写真と同じものの主砲部分。竣工前なので、その後砲塔天蓋が黒く塗られた可能性も皆無ではない。

パターンの推定が終わったところで、それぞれの色調だが、船体は生の黒だと黒すぎるので、ガンダムカラーのMSファントムグレーを使用。最初はいつものようにRLM 70ブラックグレーで塗ってみたのだが、ここまで大面積だと意外と彩度の主張が強く、褪せた黒ではなく明らかに緑に見えてしまったので没。

船体 N3 GSIクレオス ガンダムカラー
UG15 MSファントムグレー
船体 () 10GY 2.5/2 GSIクレオス Mr. カラー 新蓋
C18 RLM 70 ブラックグリーン

鼠色はいつもの白こと特色311番のベトナム三毛猫グレー。煙突白帯も写真では区別がつかないので同色で。

5GY 8/0.5 GSIクレオス
Mr. カラー 新蓋
C311
グレー FS36622

木甲板は以前「嵯峨」を作ったときと同じ考え方で塗っているが、今回は竣工直後のまだ褪色が進んでいない状態なので、7.5YR 5/2とした。

木甲板 7.5YR 5/2 Mr. カラー 旧蓋/新ラベル
C43
ウッドブラウン
+
ガイアノーツ 鉄道模型用カラー
No. 1005
ねずみ色1号

下のイメージ図で云えば、左から1/3くらいの状態。

チーク甲板材の経年変化推定色見本「嵯峨」製作時に作った、「日本丸」の写真からの甲板色褪色推定イメージ。

鉄甲板部分は両舷砲郭部の上のボートデッキと、先に推定した主砲バーベット部の2か所だが、当時の鉄甲板部分が二次大戦期同様の無塗装亜鉛メッキなのか、異なる仕上げなのかは資料を見つけられなかった。よって、今回は無塗装亜鉛メッキと同様に5R 4.5/0.5で仕上げた。これはいつも云っている通り、表面が劣化したメッキ面の純粋な再現ではなく、リノリウムや木甲板との相性から赤みに振っているだけで、実際は完全な無彩色、新しいうちはやや青みのグレーになる筈だ。

鉄甲板
(亜鉛鍍金鋼鈑?)
5R4.5/0.5 GSIクレオス
特色セット ザ・グレイ
MT01
グレートーン1
+
Mr. カラー 旧蓋/新ラベル
C3
レッド ()

では最後に完成写真。

ハセガワ1/700「三笠」を右舷から
クリックで拡大。マスト基部とデリックの張り線は0.1mm洋白線。

ハセガワ1/700「三笠」を正面から
クリックで拡大。艦橋上下間の支柱は0.3mm角棒に置き換えている。

ハセガワ1/700「三笠」を左舷から
クリックで拡大。木甲板は以前の「嵯峨」より鮮やかめで。

ハセガワ1/700「三笠」のディテール
クリックで拡大。艦橋や速射砲付近には、いつものプラ棒から切り出した人々を配置。


さて、前弩級戦艦を組むのは初めてで、しかも戦艦を組むのも実に四半世紀ぶりだったのだが、イメージ以上に時間がかかってしまった。全長は二次大戦の頃の大型駆逐艦とさして変わらないのだが、構成要素は駆逐艦に比べて桁違いに多く、小なりとはいえやはり戦艦、侮りがたしである。

ハセガワ1/700「三笠」と「金剛」
クリックで拡大。我が家唯一の戦艦だった、四半世紀前製作の「金剛」とのツーショット。奇しくも両方とも実物がヴィッカース製、模型がハセガワ製である。


参考書籍

  • 福井 静夫『写真 日本海軍全艦艇史』KKベストセラーズ、1994年、29頁^1 ^2 ^3 ^5
  • 衣島 尚一「日本の軍艦塗装の変遷」『軍艦の塗装 モデルアート5月号臨時増刊 No. 561』モデルアート社、2000年、28頁^4

全て敬称略

「竣工時のかたちと色を探ってみる – 1/700で戦艦三笠をつくる: 後篇」への3件のフィードバック

  1. こんにちは由良之助です。運転免許は無事に取得できた様で、お疲れ様でした。クルマの動かし方や道路設備の造りはそれなりに理屈に適っています。教習所で教わるのは受験テク的なことが主ですのであとは自分で調べるしかありませんが、納得して自車を確実に動かせるようになれば他車との関係にも余裕が生まれると思います。春園燕雀様は原動機というものに恐れを感じておられるからこそ良き運転者たり得ると信じます。
    ・・・どうもツイッターの使い方がよくわからず短信のような事もここに書いてしまいましたが本題は「三笠」です。この「三笠」は御本人による御披露目に立ち会えたのですが、その場で感想を口語化できなかったのでこのような形でお伝えすることとなります。

    ハセガワキットの素性は問題無い様ですので春園燕雀様がどのような表現で魅せてくるのかが見所となります。ツートーンカラーが目を引きますがそれを踏まえて眺めてみるとファイティングトップがあり47ミリ速射砲が目に入ります。全ての備砲の砲身には手が入っていますが小口径砲を細身にするのはより効果的なので甲板上に並ぶ速射砲がより印象づけられます。全体を見渡せばスターンウォークが天蓋付になっています。これらに共通するのは「現在の三笠には見られないもの」です。
    現状の「三笠」は『復興天守閣』的なものですが『復元天守』的表現を目指したと解釈しました(とんだ見当違いでしたらすみません)。となれば主眼は竣工当時の塗装の表現ということになるでしょう。
    「黒」「白」「赤」そして「デッキタン」の配色は明度差が大きく実物らしさに欠けます。また模形用塗料の「つや消し黒」を実物の黒塗装の縮尺塗色とするのは考えモノですからグレーとしたのは当然でしょう。どの程度まで明度差を圧縮するのかということになりますが今回はスケールエフェクト感よりも「新造艦らしさ」を導き出す線を巧く突いてきていると思っております。ミリタリー模型界隈ではあまり使わない色名でいうと「チャコールグレー」「オフホワイト」「スカーレットレッド」「レッドチーク」といった感じでしょうか(新造艦らしさならブラックグリーンもおおいにアリかとも思いますが写真に撮った場合の効果が計算しずらいかも・・?)。
    木甲板は「板目塗りわけ」表現がトレンドですがフルエッチング仕様ならともかく、表現物を絞り込んでいる場合は人の動線を意識したというこの色調は極めて有効だと感じます。
    1/500か?と思うくらいの大軍艦旗をはためかせている事もあり、新造艦の華やかさというものが表現されたフォトジェニックな「三笠」という印象です。
    これでリハビリトレーニングとは信じ難く、もはや体幹強化トレになっているのでは・・・。

    灰色以外のカラースキームも好いものです。こうなると中国警備艦の白塗装も見てみたいとも思いますが樅型も嵯峨も灰色で作ってしまっておりますが(工房飛竜の嵯峨をお渡しした理由がコレだったわけでして・・)。
    フォトコンでは当然一票を投じさせていただきました。

    この原稿は昨年末の時点で書いたもので、その後のフォトコンの結果を踏まえた考察が加わりますがそれはまた稿を改めます。

  2. こんにちは由良之助です。春園燕雀様は近頃大型艦の製作が多く、痩せてしまわないかと案ずる今日この頃です。モザイクの向こう側が気になりますが各模型誌を見渡してもそれらしきものはなかなか出現しません。MA誌のイベントレポート欄でターンエーウィーゴ&牛は出ていましたが。

    本題の「三笠」の続きです。フォトコンでは春園燕雀様の「三笠」は優勝ならずという結果でした。一票を投じた私としては納得ならんということで愚考したことを書き連ねてみます(全くもって余計なお世話、という話であります)。

    コンテストの結果評には『迫力ある作品』ということが挙げられています。確かに優勝なった亜考不戦燃様の作品は『迫力』という点では申し分無く、応募作品中随一であることは論を待ちません。
    一方春園燕雀様の作品はそもそも『迫力ある』という方向のモデリングでは無いので『迫力』勝負となると分が悪くなるのは確かですが・・・。
    今回のフォトコンでは戦艦「三笠」であるという以外にはとくにテーマ設定は無かったようなので『迫力ある』ものにする必然性は無く、異なる方向性を追求するのもありの筈ですが「戦艦」というワードから連想されるのは『迫力』というのが世間一般の感覚のようで、投票方式となるとどうも・・・。
    帝国海軍の戦艦で艦姿がもっとも優美なのは香取級であると考えますが、同じ英国製で前級の「三笠」も優美さは備わっていると感じます。当時の水準では快速であるといえますし装甲巡洋艦と相通ずるフォルムも持ち合わせており、「三笠」の本質は「優美さ」「軽快さ」にあると思われ、春園燕雀様の作品は塗色も含めてその方向で造られていると私は感じます。「三笠」は「戦歴」というオーラを纏っていることで本来のフォルムが見えづらくなっているのかとも思います。春園燕雀様の眼は本質を捉えていると感じ、私は一票を投じたのですが・・。
    「イメージ」とはカタチそのものだけではなくその存在背景も含めたものであるということでしょうか。

    コンテストに於いては世間のイメージに寄せたものにするのかあくまで自分なりの作品性を問うことのするのか・・という話にもなりそうですがよくよく考えてみるとこの「三笠」はフォトコン用に造り起こされたものでは無かったのでした。

    1. こんばんは、まとめての返信になってしまいすみません。
      ブラックグリーンは、大面積になってしまうと思いのほか黄顔料の主張が強く、アクセントでは黒として振る舞うのに、面で塗ると緑として振る舞うと云う不思議な色です。
      竣工時にしたのはそこまで深い意図はなく、ただ白黒塗装の頃の写真を見て素敵だなあ、と思っただけの単純な理由です。板目塗りは台座付けて根銘板入れて、のオーナーズモデル的仕上げには似合うと思いますが、疑似的に水面に浮かべて人を載せて、と百数十メートル大のフネのミニチュアとして扱ったときにやはり奇異で、私の作風だと浮くかなあと思います。そこは技法単独での良し悪しと云うより、模型全体のコンセプトとの合致の問題のように思います。

      コンテストに弱いのは今に始まった事ではないのですが、最初っからコンテストに勝つための演出を練り込んで撮っている亜考氏に負けるのは当然かなあと思います。写真一枚で勝負するフォトコンと云うテーマに対し、彼はあの角度で最大に見栄えのする形の煙を、解像度的にギリギリ無理のない密度で作ってますから、そのあたりの勝つための真摯さが違うのです。
      実は亜考氏もコンテスト用に作り始めた訳ではなく、私より先に作り始めていて、それが楽しそうだったので私も三笠を買ってしまったのですが、彼が中断してる間に何故か私が先に完成してしまい、その後、いきなりモチベーションが復活しての見事大賞獲得の流れだったりします。

      余計なことを云うとまたフラグになりそうですが、事故が無ければ今月売りの模型誌には、今度こそ載るかも……?

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