「プリンス・オブ・ウェールズ」(以下、「PoW」) の副錨について、以前ツィッタァにて、キットの副錨が撤去状態なのは同型艦の写真からの誤認ではないか、と書いた。
しかし、そうではなかったのだ。写真からは撤去のタイミングが数日単位で絞り込めるのだが、状況としては不可解なものであった。
まず、時系列に沿って写真を確認してみよう。
今回の設定年次に近い4月と6月、いずれも副錨の錨鎖がある。
副錨錨鎖の確認できる最後の日。
8月9日の写真では人物に紛れて判り辛いが、錨鎖庫入り口の覆いが、そして数日後の写真では錨鎖庫入り口の蓋が確認できる。いずれも大西洋憲章の為の会談と云う、歴史的重大事に伴う航海における連続写真の一葉であり、状況的に撮影データの日付は信用に足ると思える。
そこから数日後、錨鎖は無く、錨鎖庫の入り口には蓋がされている。
IWMに撮影データの記載が無いが、舷側に迷彩があるので夏以降の姿である。
さて、ここで疑問が湧く。件の大西洋会談はカナダ沖、ニューファンドランドである。そして「NAVAL-HISTORY.NET」掲載の行動記録によればニューファンドランドでの停泊期間は9日から13日。すなわち、ニューファンドランド到着時にあった副錨錨鎖庫が、出航2日後には消えていたことになる。
当然ながらその間に入渠した記録もないし、この間、チャーチルとルーズベルトがお互いの艦を何度か行き来しているので大きな工事は不可能である。
これも撮影データが無いが、状況的に前掲の集合写真と同日であろう。
IWMに、先ほどの集合写真に似た写真がもう一枚ある。撮影データこそないものの前掲の集合写真と同時期の撮影と思しきもので、こちらには塞がれた錨鎖庫がより鮮明に写っている。
よく見れば、錨鎖庫の蓋には取っ手とハンドル式の螺子があり、永続的な閉鎖ではないように思える。曲面の感じからおそらく鋳造で、艦内で即席に作られたものではないのも判る。すなわち、英本国を発つ前からこの蓋は存在し、少なくとも8月9日まで収納されていたと考えられる。
これらのことから、副錨錨鎖庫は元々不使用時に任意で開閉できる仕様と思われる。同型艦では、大戦末の「アンソン」や「ハウ」に副錨の写った写真があり、日本海軍と違って完全に廃止はしていない模様。
姉妹艦の「ハウ」にも同様に、大戦末に副錨が確認できる写真がある。
翻ってキットの使用では、舷側に副錨がある一方、甲板上に錨鎖はなく錨鎖庫が閉鎖されているという、ちぐはぐな仕様である。
幸い、豪華版には副錨用の錨鎖のエッチングパーツが用意されているので錨鎖庫上のパイプ状カバーのみ自作すれば簡単に使用状態に出来る。一方、閉塞状態とするなら、舷側に副錨を取り付けないだけで良く、更に簡単である。迷彩状態として作る場合、ほぼ閉塞状態の写真ばかりだが、上述の通り簡単に開閉できるようなので好みで選んで良いだろう。
結局、キットは完全な考証ミスではなかったが、錨鎖と錨の関係は整合を取っておきたい。
例によって、思考の回り道が多いのだが、今回は日本海軍の戦艦における副錨廃止の先入観が強く、それに引きずられて迷走してしまったように思う。結果として、作例の解釈で問題なかったが、先入観を持たずつぶさに写真を眺めることの大切さを痛感させられた。
写真引用元
- 『Imperial War Museums』2023年1月閲覧
- 「ON BOARD THE BATTLESHIP HMS PRINCE OF WALES. 20 APRIL 1941.」A 3918
- 「ON BOARD THE BATTLESHIP HMS PRINCE OF WALES. JUNE 1941.」A 4164
- 「PRESIDENT ROOSEVELT MEETS PRIME MINISTER CHURCHILL. 9 AUGUST 1941, ON BOARD HMS PRINCE OF WALES, IN THE NORTH ATLANTIC OFF NEWFOUNDLAND. THE MEETINGS TOOK PLACE ON BOARD THE BATTLESHIP HMS PRINCE OF WALES AND THE AMERICAN CRUISER USS AUGUSTA, THE MEETINGS STARTED ON 9 AUGUST 1941.」(タイトル長い……)A 3236
- 「MR CHURCHILL’S VISIT TO ICELAND. 15 AND 16 AUGUST 1941, ON BOARD HMS PRINCE OF WALES ON THE JOURNEY TO ICELAND AND AT REYKJAVIK, ICELAND. ON THE RETURN JOURNEY FROM HIS MEETING WITH PRESIDENT ROOSEVELT MISTER CHURCHILL VISITED ICELAND.」(だから長いって……なろう系のタイトルか!)A 4989
- 「HMS PRINCE OF WALES」(そうそう、こういうので良いんだよ)FL 17647
- 「THE ROYAL NAVY DURING THE SECOND WORLD WAR
」A 5004 - 「HMS ANSON」FL 707
どうもお久しぶりです篠﨑です。錨鎖についてですが錨を短鎖のみで固定して錨鎖自体は格納してしまう事例がよくあることだったようで「桜と錨の気ままなブログ」さんとこが「錨と錨鎖の話し 」というお題で写真入りで詳しく解説していらっしゃいます。
錨と錨鎖の話し (1)
http://navgunschl.sblo.jp/article/48093205.html
錨と錨鎖の話し (2)
http://navgunschl.sblo.jp/article/48145069.html
良ければ読んでみてください、きっと楽しんでもらえるかと思います。もっともこの記事も結構前だしすでにご存じかもしれませんね、そうだったらごめんなさい。
お久しぶりです。その節は大変お世話になりました。
リンク先の錨鎖の話、金剛の写真は何度となく見ていたにもかかわらず、まったく気づいていませんでした。よく見るとFL 17647の副錨はまさにこの状態ですね、これを知っていれば、敢えて副錨の錨鎖はフルに使わず短鎖のみにするのも変化が出て面白かったかもしれません。
いずれ開戦劈頭の金剛型は作りたいと思っていますので、試してみようと思います。貴重な情報ありがとうございました。