アオシマの新製品、巡潜乙型・伊19をレビュウする: 後篇+α

さて、2月頭と宣言しつつ、中旬までずれ込んでしまったが、乙型潜水艦の簡易レビュウ後篇は塗装とマーキングである。

あと、流石にここまで時期を外してしまってレビューだけと云うのもアレなので、簡単なディテールアップ例なども。


塗装は徐々に暗くなる

塗装バリエーションの少ない日本海軍艦艇に於いて、比較的バリエーションに富んでいるのが潜水艦で、中でも乙型は写真に残されている塗装パターンが他のクラスより多い。
大まかに分けると、鼠色単色と黒色単色、そして上面のみ黒色に塗ったものの3パターンに分かれ、大戦初期までに撮られたものは日本海軍標準塗装の鼠色塗装が大半だ。
これが1942年 (昭和17年) あたりから黒色塗装が出現[1] [2] するようになり、大戦後期では黒塗装の写真の方が優勢になる。

巡潜乙型の黒塗装
1943年 (昭和18年) の伊38。やや不鮮明だが、船体色は日の丸の赤とほぼ同等で「鼠色」より確実に暗い筈。

なお、鼠色か黒かの判定は、艦橋側面の日の丸との明度差によって行った。日の丸の赤より明確に明るければ鼠色、同等かそれより暗ければ黒と見ている。
日の丸の写っていない写真は、露出により実際より明るく、もしくは暗く写っている可能性があるため、判定から除外した。

上面のみ黒のパターンは伊19潜と伊37潜に確認でき[3] [4] 、いずれも艦橋と格納庫の天面を黒系の暗色に塗り分けている。また、伊37潜は全体が確認できるが、甲板面も同等の明度に写っており、木部も含めて暗色塗装が施されているように思える。

巡潜乙型の二色迷彩
1944年 (昭和19年) の伊37。艦橋付近の写真しかないが、伊19もほぼ同パターンに見える。
木甲板の色が舷側より暗いのにも注目。

これらの違いに部隊や建造工廠による共通性はなく、法則性としては、前述のとおり時期が下るほど暗色系優勢になっている点くらいである。
鼠色塗装は洋上での隠蔽性、暗色は潜航時における上方からの隠蔽性に優れると云われ、この傾向は日本海軍が制空権を失っていったことと無縁ではあるまい。

上記の他の変り種は伊30潜で、ドイツ訪問の際に潜舵より上をかなり明るいグレー、格納庫上面と潜舵より下を黒系と云う独特な迷彩を施している[5]。岩重多四郎氏の考証によるとドイツ軍の塗料ではないかとのこと[6]

マーキングは段々派手になる

マーキングもやはり部隊や建造工廠による共通性はなく、時期により傾向が変わっているように思える。
大戦初期には艦橋窓下に艦名のみ書いているパターンが多く、1942年 (昭和17年) あたりから艦名の位置がやや上に上がりその下に日の丸、1944年 (昭和19年) 頃からは艦名と日の丸を上下ではなく前後に並べるパターンが増えてくる。また、それに併せて艦橋後半の高さにほぼ等しい巨大な日の丸マーキングが登場する。[7] [8] [9]

巡潜乙型のマーキング
乙型各艦のマーキング比較。文字の大きさは概ね共通だが、位置関係や日の丸の付け方は意外とバラバラ。

キットの艦名デカールは、伊36潜などにみられる黒布に艦名を白く染め抜いたものと思われ、上掲の通り大戦末期の写真で確認できるが、乙型全体ではあまりメジャーではない。
一般的な艦橋直書きの艦名を再現したい場合、ピットロードの潜水艦キットに付属するデカールが便利だ。
このデカール、同社がモデライズした艦の番号以外にも、汎用数字が2サイズ付属しており、大抵の艦番号マーキングは網羅できる優れものだ。乙型の写真では大サイズに近い例が多くみられる。

巡潜乙型のマーキング
ピットロードのデカールとキットパーツのサイズ対比。前掲の写真と比べて頂ければお判りの通り、大サイズの数字がジャストサイズ。

少しディテールアップしてみる

思わぬアクシデントで完全にニューキットレビューの旬を逃してしまったので、簡単なディテールアップ例も紹介しよう。
オススメなのは、艦橋窓のエッチング化とループアンテナ・舷外電路の追加
エッチング窓は手に入りやすい横長窓のパーツが無いので、ややピッチが大きいがファインモールドの0.6mm×0.9mmメッシュを使用している。
ループアンテナはWL共通ランナーのものの足元を切り詰めてやると、丁度良いバランスになる。舷外電路のパターンは前篇を参照されたし。

アオシマ伊19のディテールアップ
上記に加え、機銃をナノ・ドレッドに換装した状態。

あと、「らしさ」の部分では、浮上状態だと潜望鏡と潜舵を収納している写真が多い。
潜望鏡は総て仕舞っているか、最後尾の1本だけ上げているパターンが大半で、キットのパーツをカットしてやるだけで再現できる。
潜舵は開口部後端を支点に回転して収納されるので、潜舵パーツの端の部分だけ切り取って開口部から覗かせてやるとそれらしく見える。

面倒だが見栄えが良いのは、潜舵ガードやプロペラガード、空中線支柱の置き換えで、このあたりはアオシマキットの常で全体に太目なので細くしてやると似てくる。
ガード類はあまり細くしすぎないのがキモで、図面で見るとプロペラガード外枠が0.5mm、プロペラガード支柱と潜舵ガードが0.3mmくらいに見える[10]

アオシマ伊19のディテールアップ
潜舵ガードとプロペラガード。プロペラガード外枠の太さに注目。

空中線支柱はそれらより明らかに細いので、太さの差を作り分けてやりたい。今回は約0.2mmくらいの太さで再現した。また、キットでは再現されていないが、空中線支柱は艦橋後端側にもあるので併せて追加してやると良い。
それらの間に張られる空中線は水上艦艇のそれより太く、ほぼ支柱と同等に見えるので、普段空中線は張らない人でもアクセントとして追加してみるのも良いだろう。

アオシマ伊19のディテールアップ
空中線支柱と空中線はほぼ同じ太さ。14cm砲はWL共通ランナーの「14cm砲」ではなく「10cm砲」を使うとシャープになる。

このあたりを細くすると、併せて武装類のサイズ感も調整したくなる。
主砲はWL共通ランナーの10cm高角砲が細くシャープで良い。14cm砲とは駐退器の位置が異なるので、いったん削り取り、後ろ側に0.3mmプラ棒等で作り直してやるとそれっぽくなる。機銃はバランスを取るならナノ・ドレッドかピットロードの新武装パーツ辺り推奨。今回はナノドレを使った。

あと、例によって船体継ぎ目モールドはクドいので総て削り取っている。

巡潜乙型の二色迷彩
前掲の伊37との比較。伊19も恐らく甲板はこのような暗色だった筈。
木甲板部分は、鉄部同様の黒系塗装が摩耗してやや明るく見えているものと解釈。

塗装は全体に黒くパッとしない感じになってしまったのだが、一応レシピを書いておくと、鼠色がクレオス城カラーの瓦色で、迷彩の黒がガンダムカラーのファントムグレー。木甲板はファントムグレーをベースにマホガニーの混入比率を変えたもの複数で調子をつけている。艦底色はMr. カラーのあずき色。
デカールは艦名が前述のピットロードのもので、日の丸は白部分が塗装で赤丸をWL共通ランナーの航空機用日の丸の大きい方を使用した。

巡潜乙型の二色迷彩
完成。色調に不満は残るが、ご覧のとおり、キットのシルエットの良さは折り紙つきである。


と云う訳で、アオシマ伊19の簡易レビュウ+お手軽ディテールアップ例をお送りしたが如何だっただろうか?
配色に失敗してしまったが、形状把握の的確さや、各部のシャープ化の効果はお判りいただけたのではないかと思う。
付属のデカールが汎用性に欠けるのは惜しいが、それ以外は的確な形状把握と充実したおまけパーツで素組からディテールアップまで幅広い楽しみ方ができる、好キットである。


参考書籍

  • 「伊号潜水艦『乙型』写真説明」『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年、112頁^1、109頁^3、113頁^5、107頁~119頁^7
  • 福井 静夫『写真 日本海軍全艦艇史』KKベストセラーズ、1994年、715頁^2、714頁^4、710頁~714頁^8
  • 岩重多四郎「嗚呼栄光の海軍小艦艇隊」『ネイビーヤード Vol.28』大日本絵画、2015年、73頁 ^6
  • 『歴史群像 太平洋戦史シリーズ17 伊号潜水艦』学習研究社、2008年、106頁 ^9
  • 日本造船学会「一等潜水艦 伊15型 伊15 一般艤装図」『明治百年史叢書242 昭和造船史別冊 日本海軍艦艇図面集』原書房、1975年、98頁 ^10

全て敬称略

「アオシマの新製品、巡潜乙型・伊19をレビュウする: 後篇+α」への3件のフィードバック

  1. 失礼致します。

    伊19の記事、興味深く読ませて頂きました。
    細かな考証、参考にさせて頂きます。

    ところで、これは写真からでちょっと分かり辛いのですが、方向探知のループアンテナが潜水艦用の所謂ループアンテナではなく、水上艦用の直交ループアンテナ(ベリニトシアンテナ)になっている様ですが(見間違いでしたらスミマセン)、この根拠は何でしょうか?
    直交ループでは、艦橋にあるスリットに格納できないと思いますが・・・。

    単ループアンテナは電波の方向を調べる時にアンテナを回転させます。潜水艦の図面で正面からも側面からも円くループが描いてあるのは、回転する事を表しているのです。対して、水上艦に使われている直交ループアンテナは、アンテナを回転させず、ゴニオメータという装置によって電気的(電波的?)にアンテナが回転したと同じにしているのです。
    そのように回転させ、受信電圧が最小になる位置を探せば、電波の去来方向が分かる訳です・・・が、しかし、それだけでは電波が何処から来てどこへ去るのか、つまりは前と後が分かりません。その為、ループアンテナに加えてセンスアンテナと呼ばれる垂直アンテナを併用し、そのセンスアンテナに移相器という装置を繋いで、カージオイド形というハート型の指向性を作って、電波が何処から来るのか知るのです。
    潜水艦では、このセンスアンテナをどうしているのか分かりません(昇降短波アンテナと共用か?)が、零式艦上戦闘機のクルシー装置で説明しますと、先ず、ループアンテナは操縦席後ろに有り(これは固定式の様ですから、飛行機自体が動いてやります)、センスアンテナは無線アンテナと共用していて、中空木製のアンテナ支柱(坂井三郎が鋸で切ったという)内に垂直部分の有る逆L字アンテナとなっています。センスアンテナとして使用する場合は、操縦席左側の空中線切替レバーを操作して使用するようになっていました。このクルシー装置はアメリカからもたらされた物ですが、陸攻等大型機では同様の装置でドイツからのテレフンケン装置を使用していました。クルシーとテレフンケンの違いは移相器が電子式(真空管)か電気機械式かの違いで、電子式のクルシーは小型でしたが、電気機械式のテレフンケンは大型でした。これらの移相器は僅か1ビットの性能でしたが、その後それぞれに移相技術を進歩させ、第二次世界大戦中にドイツはFuMG 41/42 Mammutという世界最初のフェーズドアレイレーダーを、アメリカは艦載射撃用フェーズドアレイレーダーMk-8完成させました(しかし、Mk-8は思ったようには動かなかった様で、堅実なパラボラアンテナのレーダーにその座を奪われてしまいます)。

    【参考】

    http://2nd.geocities.jp/takestudy/file/houkou.html

    失礼致しました。

  2. 失礼致します。

    先の書き込みの零戦の部分に間違いがありました。
    ×操縦席左側の空中線切替レバー
    ○操縦席右側の空中線切替レバー
    です。
    ところで、潜水艦の迷彩塗装についてですが、昨年出版された、「中国塗料100年史」中国塗料株式会社(2017)9~10頁からですが、
    【引用以下】
     当時の潜水艦は他の軍艦と同様、外鋼板が濃灰色の塗料で塗装されていたため、潜航中に飛行機で上空から見ると艦影が海中に薄白く認めることができた。これを防ぐには“つや消し黒色塗料”が必要であった。つや消しは、ワニスの量を少なくする一方、顔料と溶剤を多くすることにより製造が可能であるが、この方法は、皮膜がもろく付着力が弱い、耐海水性がきわめて弱いという欠点があった。そこで、バインダーの役割を持つワニスの強靭化を図ることとし、耐水性の強い油溶性フェノール樹脂を使ってワニスをつくった。このワニスを用いた“つや消し黒色塗料”は、1933年に潜水艦外鋼板用塗料として海軍から採用された。
     また、潜水艦向け製品に関しては、上甲板用の黒色着色剤も開発した。潜水艦の上甲板はチーク材の簀の子状につくられていたが、ペイントを塗った木材は吸水するので、塗料よりも木材に染みつく着色剤が求められたのである。当社では、耐久性に優れたアニリンブラック系とヘマトキシリン系の着色剤を開発し、後者のヘマトキシリン系黒色着色剤が採用された(その後、アニリンブラック系に変更)。つや消し黒色塗料と黒色着色剤は、1945年に終戦を迎えるまで当社の単独指名製品であった。
    【引用以上】
    との、情報がありました。これによると、1933年に既に迷彩塗料が用意されていた様です。

    失礼致しました。

    1. Lunaさま 返信遅くなりまして申し訳ありません、貴重な情報ありがとうございます。
      ループアンテナの件は全く知りませんでした、勉強になります。確かに、あらためて伊19の艦橋アップの写真を見ると単線のアンテナでした。先入観を持ってみてしまうと写真がボケて直交側が写ってないだけだろう、と思い込んでしまうのですね。アンテナと塗装の話、コメント欄にとどめておくにはもったいないので、後日、自分でも調べて改めて追加記事にまとめたいと思います!

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