前回は、各社の14cm単装砲の部品を比較してみたので、今回はそれに基づく工作篇……の予定だったが、手を動かす前に、本物の14cm単装砲について幾つかの疑問点があったので、調べてみた。
結果、工作についてどうなったかは、まあ察して欲しい。
14cm単装砲砲盾のバリエーションについて
14cm単装砲の砲盾については、いくつかの形状バリエーションがある。
ひとつは、学研の「歴史群像 太平洋戦史 軽巡 球磨 長良 川内型」 (以下、学研本) で触れられていた天蓋の折れ角の有無[1]。
もうひとつは、 森恒英氏の「日本の巡洋艦」に図示されている、後端の波除鈑で、 これも有るものと無いものがある。
今回はまず、天蓋の折れ角の有無について検証してみた。
14cm単装砲砲盾天蓋の折れ角について
これについて言及された資料は少なく、私の手元の資料では学研本のみが言及していた。
ただし、学研本でも体系的な分析・考察はなされておらず、2種類あるけど、どっちか確認できない艦もあるよー、という割と軽めの扱いである。
本稿では便宜上、左を「折れ天蓋」型、右を「平天蓋」型と呼ぶことにする。
公式な分類名称ではないので注意。
そこで、これらについて写真から法則性を探してみた。
これら2種類の天蓋が関係性として、考えられる仮説は3つ。
- 1. 改良・改造や換装による違い
- 2. 建造工廠による違い
- 3. 建造時期による違い
1. は、友鶴事件や第四艦隊事件など、大規模な不具合があった際の改装でよくみられる。
例えば、特型駆逐艦の魚雷発射管シールドの装備などで、運用の都合上、所属している戦隊や駆逐隊単位で一括で行われることが多い。
2. は、この手の相違点ではよくあるパターン。
駆逐艦の識別における烹炊所の小煙突や蒸気捨管の形状・配置など、兵装よりは、船としての構造や設計に関する部分でよくみられる。
3. は、主にひとつの種類の兵装が長期間、複数の型に跨って使用される際にみられる。
有名なのは、重巡・空母の20cm連装砲塔におけるB~E型砲塔の変遷や、駆逐艦の12.7cm連装砲におけるA~D型砲塔 (砲室) など。
そして、各艦の装備する砲盾の形式を写真から判定した結果が下記の表である。
原則として、各艦とも2葉以上の写真で形状が確認できた結果を記載している。
形状が確認できる写真が1葉しかなかった場合は、後ろに「?」をつけ、確認可能な写真が全くなかった場合は、「不明」とした。
艦型 | 艦名 | 建造工廠 | 計画年度 | 起工年 | 竣工年 | 天蓋形状 |
---|---|---|---|---|---|---|
天龍型 | 天龍 | 横須賀工廠 | 1917年度 (大正6年度) | 1917年 (大正6年) | 1919年 (大正8年) | 折れ天蓋: 1934年 (昭和9年) [2]、 1935年 (昭和10年) [3] |
龍田 | 佐世保工廠 | 1917年度 (大正6年度) | 1917年 (大正6年) | 1919年 (大正8年) | 不明 | |
球磨型 | 球磨 | 佐世保工廠 | 1917年度 (大正6年度) | 1918年 (大正7年) | 1920年 (大正9年) | 折れ天蓋: 1930年 (昭和5年) [4]、 1935年 (昭和10年) [5] |
多摩 | 三菱長崎 | 1917年度 (大正6年度) | 1918年 (大正7年) | 1921年 (大正10年) | 折れ天蓋: 1925年 (大正14年) [6]、 1942年 (昭和17年) [7] | |
北上 | 佐世保工廠 | 1917年度 (大正6年度) | 1919年 (大正8年) | 1921年 (大正10年) | 折れ天蓋: 年次不明[8]、 1934年 (昭和9年)[9] | |
大井 | 川崎造船所 | 1917年度 (大正6年度) | 1919年 (大正8年) | 1921年 (大正10年) | 折れ天蓋?: 1935年 (昭和10年) [10] | |
木曾 | 川崎造船所 | 1917年度 (大正6年度) | 1919年 (大正8年) | 1921年 (大正10年) | 折れ天蓋: 1932年 (昭和7年) [11]、 1935年 (昭和10年) [12] | |
夕張型 | 夕張 | 佐世保工廠 | 1917年度 (大正6年度) | 1922年 (大正11年) | 1923年 (大正8年) | 平天蓋: 1932年 (昭和7年) [13] 1933年 (昭和8年) [14] |
長良型 | 長良 | 佐世保工廠 | 1917年度 (大正6年度) | 1920年 (大正9年) | 1922年 (大正11年) | 折れ天蓋: 1930年 (昭和5年) [15]、 1936年 (昭和11年) [16] |
五十鈴 | 浦賀船渠 | 1917年度 (大正6年度) | 1920年 (大正9年) | 1923年 (大正12年) | 不明 | |
名取 | 三菱長崎 | 1917年度 (大正6年度) | 1920年 (大正9年) | 1922年 (大正11年) | 折れ天蓋: 1935年 (昭和10年) [17] [18] | |
由良 | 佐世保工廠 | 1918年度 (大正7年度) | 1921年 (大正10年) | 1922年 (大正11年) | 折れ天蓋: 1937年 (昭和12年) [19] 1938年 (昭和13年) ? [20] | |
鬼怒 | 川崎造船所 | 1918年度 (大正7年度) | 1921年 (大正10年) | 1922年 (大正11年) | 折れ天蓋: 1930年 (昭和5年) [21] 1937年 (昭和12年) [22] | |
阿武隈 | 浦賀船渠 | 1918年度 (大正7年度) | 1921年 (大正10年) | 1925年 (大正14年) | 折れ天蓋: 1941年(昭和16年) [23] [24] | |
川内型 | 川内 | 三菱長崎 | 1920年度 (大正9年度) | 1922年 (大正11年) | 1924年 (大正13年) | 平天蓋: 1934年 (昭和9年)[25] [26] |
神通 | 川崎造船所 | 1920年度 (大正9年度) | 1922年 (大正11年) | 1925年 (大正14年) | 平天蓋: 1927年 (昭和2年) [27] 1935年 (昭和10年) [28] | |
那珂 | 横浜船渠 | 1920年度 (大正9年度) | 1922年 (大正11年) | 1925年 (大正14年) | 平天蓋: 1927年 (昭和2年) [29] 1939年 (昭和14年) [30] |
上記の表から判る通り、「平天蓋」と断定できる艦は意外と少なく、「夕張」に「川内型」の計4隻のみだった。
全体に艦齢が長いために写真点数に恵まれているクラスだが、その多くは、「どちらにも解釈可能」な写真である。
この表から、まず、1. の可能性は否定される。
対象の軽巡17隻中、同じ艦で形状の変化が確認できたものは無かった。
そして、2. も建造所と天蓋形状が全く一致しないので否定。
現状で可能性が高いのは3. だと考える。
計画順や竣工順では法則性がないが、起工年次では綺麗に両タイプに分かれる。
すなわち、1921年以前に起工された「天龍型」「球磨型」「長良型」の各艦は「折れ天蓋」、1922年に起工された「夕張」と「川内型」は「平天蓋」と推測される。
次は、波除鈑について、といきたいところだが、えらく長くなってしまったので、記事を分けることにする。
読者諸兄も、今回は文字ばかりなので、いい加減、疲れたでしょう (笑)
さて今回の検証だが、学研本や各艦の公式図面の複写をお持ちの方は、「球磨型」「長良型」でも、「平天蓋」で描かれた側面図が残っているではないか! と思われるだろう。
ただ、それらの図面表記と近い時期の写真で明確に「平天蓋」として確認できる物は見つけられず、であれば、実状を示すのは当然写真であるため、上記比較の表では触れなかった。
考えられることとしては、竣工後に何らかの理由で「平天蓋」に換装または改造された状態を作図している可能性もあるので、何か有力な情報があれば、ぜひご教示いただきたいと思う。
参考書籍
- 『歴史群像 太平洋戦史シリーズ32 軽巡 球磨・長良・川内型』学習研究社、2001年
- 『写真 日本の軍艦 第8巻 軽巡I』光人社、1990年
- 『日本巡洋艦史 世界の艦船 2012年1月号増刊』海人社、2011年
- 福井 静夫『写真 日本海軍全艦艇史』KKベストセラーズ、1994年、275頁^5、280頁^9、293頁^19
- 『写真 日本の軍艦 第9巻 軽巡II』光人社、1990年
全て敬称略。