祝! 「天龍」「龍田」、キットリニューアル決定!!
そんな訳で、このスクラッチの記事が誰かの役に立つ可能性が、ほぼ失われたような気もするのだが、後半の参考資料一覧は新キットを組む時にも役立つんじゃないかな!!
怖いねえ、スクラッチするとキット化されるって、模型界隈でよく聞くジンクスだけど、ホントにあるんだねえ。
まずは全体の写真をご覧頂こう。
今回の写真は、すべてクリックすると拡大できる。
左が「天龍」で右が「龍田」。
クラシカルな3本煙突を除けば、細い船体にみっしり詰まった構造物が、駆逐艦の様な印象。
同じく左が「天龍」、右が「龍田」。
上から見ると5,500トン級に連なるスマートな船型が際立つ。
有名な太平洋戦争直前の内南洋での2ショットと同アングルで。
奥の「天龍」と手前の「龍田」の艦橋形状の違いが判るショット。
「龍田」の方は、昭和期の写真に恵まれず不明点が多いのだが、それでもそれなりに違いはある。
ハセガワのキットを仮組した時は、次級の「球磨型」にも、以前の防護巡洋艦にも似ていない、不思議な艦形、といった印象があった。
だが、現在入手可能な資料を基に、一から形状を洗いなおして立体化してみると、確実に「球磨型」に連なる艦容をしているな、と感じた。
「天龍型」軽巡洋艦「天龍」
軽巡「天龍型」の1番艦、1919年 (大正8年) 11月に竣工。
八八艦隊計画の一環として、大正五年度計画により建造。基準排水量3,230トン。
大正期には水雷戦隊旗艦を歴任し、昭和に入ってからは水雷戦隊旗艦を後進に譲り、主に大陸方面で活動。太平洋戦争開戦時には内南洋にあり、第18戦隊旗艦として南方攻略緒戦の激戦地、ウェーク島攻略戦に参加。
その後、1942年 (昭和17年) 8月、第一次ソロモン海海戦で同じく老兵の「夕張」と共に赫々たる武勲を上げたのち、同年12月、潜水艦「アルバコア」の雷撃で沈没。
大戦に参加した軽巡としては最古参ながら、晩年、華々しく戦い、散った。
昭和一桁代までは比較的豊富に写真が残っており、基本的な箇所の形状はほぼそれらの写真による推定。
但し、魚雷発射管の改正を行った1934年 (昭和9年) 以降、極端に写真が減り、次発装填用のスキッドビーム周りなど、改修後の姿は不明点が多い。
本連載で「天龍」と云えば、やはり晩年の艦橋写真のこのアングル。
形状が判らず苦労したスキッドビームと機銃台。ハセガワの新キットがどのような解釈でくるか楽しみではある。
前部に輪を掛けて詳細不明な後部スキッドビーム。上辺の段差とか、なんでこんな形状なのかさっぱり不明。
「天龍型」軽巡洋艦「龍田」
軽巡「天龍型」の2番艦だが、竣工は1919年 (大正8年) 3月で「天龍」より早い。
やはり八八艦隊計画の一環として、大正五年度計画により建造。基準排水量3,230トン。
艦歴は「天龍」とほぼ同じ歩みで、大正期に水雷戦隊旗艦、その後昭和に入ってからは主に大陸方面で活動。太平洋戦争開戦時には内南洋にあり、第18戦隊に所属して「天龍」と共にウェーク島攻略戦に参加。
1942年 (昭和17年) 8月の第一次ソロモン海海戦には僅か一日の差で参戦が叶わず、同年、相方の「天龍」が戦没してからは、新造艦錬成部隊である第11水雷戦隊旗艦として主に内地にあった。
その後、1944年 (昭和19年) 3月、船団護衛任務中に潜水艦サンド・ランスの雷撃にて沈没。
艦歴20年を超える老兵ながらも、水雷戦隊旗艦として生まれた「龍田」は水雷戦隊旗艦として生を終えた。
「天龍」に輪を掛けて写真に乏しく、鮮明な写真の大半は大正期のものである。
よって、多くの部分は「天龍」と同一とし、明確に差異が認められる部分のみを作り分けるかたちとなった。
他の軽巡では似たような形状のものが見当たらず、多分に推測が入る。
写真では「何かがあるけど何だか判らない」三脚後面の台? とりあえず双眼鏡を置いて見張り台、という無難な解釈。
内火艇は「龍田」だけのレア装備? の10m型。訓令のみで写真が無いので、11m型を切り詰めて再現。
主要参考文献
文献の方はおすすめ順なので、購入の際のご参考に。
下記以外に細々と参考にした資料もあるが、そのためだけに買うほどのものでもないと思ったので割愛。
『写真 日本の軍艦 第8巻 軽巡I』光人社、1990年
古い本だが、大型書店などではまだ新品在庫を見かける。不鮮明ながらも写真点数が豊富で建造から戦歴まで一通りの解説と行動年表も収録されており、お得感がある。
今回の参考文献の中では最も古く、考証が行き届かない部分もあるが、何か一冊だけ資料を、というならまずこれを推したい。『歴史群像 太平洋戦史シリーズ32 軽巡 球磨・長良・川内型』学習研究社、2001年
『歴史群像 太平洋戦史シリーズ51 帝国海軍 真実の艦艇史2』学習研究社、2005年前者は所謂5,500トン級の特集だが、「天龍型」で数ページ特集が組まれており、他の資料と重複するカットもあるものの、鮮明度が高くディテールの判る良い写真が多い。
後者はメイン記事の一本として「天龍型」の戦時の武装変遷がまとめられている。安定の田村俊夫氏のリサーチで、訓令と当事者証言を基にした、かなり確度の高い考証がなされている。
いずれも古書流通のみ。部数が少ないのか、3,000円~5,000円前後とやや定価より高めの相場で売られていることが多い。 考証派なら後者は特にオススメ。『日本巡洋艦史 世界の艦船 1991年9月号増刊』海人社、1991年
『日本巡洋艦史 世界の艦船 2012年1月号増刊』海人社、2011年写真メイン。新旧あるが、重複カットは少なく、両者揃えておいても損は無し。
新版は新品が流通しているが、旧版は古書流通のみだが、品薄のようで執筆時点では相場不明。
「天龍型」では、旧版の「天龍」の短艇を降ろした状態の左舷と、新版の「天龍」の左舷艦首上方からのカットが模型資料として役立つ。 ディテール派の人にオススメ。『一億人の昭和史 [10] 不許可写真史』毎日新聞社、1977年
恐らく現状唯一の、戦時中の「天龍」の姿を収めた写真が収録されている。
表題の通り、艦艇関連の書籍ではないので、模型資料としてこのためだけに買うほどのものではない。
純粋に歴史系写真集として楽しむには中々興味深い内容なので、そういったのが好きな方にはおすすめ。古書流通で数百円くらいから手に入る。福井 静夫『写真 日本海軍全艦艇史』KKベストセラーズ、1994年
68,000円と云う価格でも注目を集めた福井静夫氏の膨大な写真コレクションの集大成、通称68K本。
「天龍型」については模型資料として有益なカットが少なく、このためだけに入手するのは得策ではない。
古書流通のみで、概ね定価前後の相場だが、たまに外箱傷みなどのB品が1万円台で売られていたりする。
参考ウェブサイト
こちらは書籍と違って、基本的にお金が掛からないので、時間が有れば一通り目を通しておくことをお勧め。
「樅型」よりは知名度が高い筈だが、キットの出来に恵まれなかった所為か、模型系サイトでキッチリ改修をしてある作例は見つけられなかった。よって、考証関係のみ。
まあ、まじめに手を入れるくらいなら、スクラッチの方が楽だからねェ……
桜と錨「桜と錨の海軍砲術学校-史料展示室「一般計画要領書」 (旧海軍艦艇要目簿・要目表) 造工史料」『桜と錨の海軍砲術学校』、2011年
前回もお世話になった、限りなく同時代資料に近い存在の資料。
「天龍型」は図面の類が皆無に等しいので、基本寸法や兵装の定数など、かなりの部分をこれに準拠している。「Japanese cruiser Tenryū」『Wikipedia, the free encyclopedia』、2014年9月閲覧
何故か日本語版より充実している、英語版WikiPediaの記事。
解像度はやや低いものの、上記で紹介した写真集掲載の写真もそこそこ含まれており、てっとり早く全体形状のイメージをつかみたい場合に便利。- Ref. A03032236600「50口径3年式14糎砲 D型砲架 (露天砲) 照準演習機装備図第2番砲」国立公文書館所蔵、横須賀海軍工廠、1918年
- Ref. A03032236800「50口径3年式14糎砲 D型砲架 (露天砲) 照準演習機装備図第4番砲」国立公文書館所蔵、横須賀海軍工廠、1918年
- Ref. A03032236400「中口径砲方位盤照準装置用 照準演習機装備」国立公文書館所蔵、横須賀海軍工廠、1920年
考証系モデラー諸氏にはおなじみの、ご存知「アジ歴」。
上記は表題には「天龍」の記載がないため、艦名で検索しても出てこないのだが、「天龍」の2番砲・4番砲周辺と、竣工時の艦橋の公式図面である。
下記と共に、現時点で容易に手に入るほぼ唯一の数少ない「天龍型」の公式図面群。東京大学「平賀文書資料一覧」『平賀譲 デジタルアーカイブ』
2014年 (平成26年) 10月15日追記: 2014年 (平成26年) 10月10日付で「平賀譲 デジタルアーカイブ」が再開された。
簡単に中身を見た限りでは、「天龍型」・「球磨型」関連は、ほぼ以前の公開資料が引き継がれているようだ。
緊急閉鎖から5か月、再公開に尽力された関係各位に、心から賛辞と謝意を捧げたい。また、それに伴い、下記の一時公開は終了とする。
同資料については、平賀譲 デジタルアーカイブ内の資料一覧ページから「カード目録」を「天龍」で検索して船体側面図と主要フレーム断面図の閲覧・入手が可能だ。
アジ歴図面は部分図面なので、船体の全体形状については、こちらが有用。船体側面図と主要フレーム断面図が公開されていた。
船体形状を知ることのできる貴重な公式図面だったのだが、現時点で閉鎖中、再開未定につき番外編扱い。
とりあえず暫定措置として、一部資料をこちらに置いているので、自己責任で活用されたし。
以上、著者・作者名など、敬称略。
今回は、見えないところにはこだわらずに、速成を目指すコンセプトだった訳だが、前回の駆逐艦3隻が1年半掛かったのに対し、今回は約7か月で竣工。
転居時に破損してしまい、修復のために公開が遅れてしまったが、初スクラッチのペースとしてはまずまずだと思うのだが如何だろう。
何より、キットリニューアルの発表前に完成させられたのは良かった。
製作途中に発表の報を聞いていたら、間違いなくやる気を失くしてゴミ箱に叩き込んでいたことであろう (笑)
鬼のように固い旧キットをゴリゴリやってたら、このタイミングでは間に合わなかった筈、て、表題の意味はそこなのかという。
真面目なハナシ、スクラッチをすると、一から像を結ばねばならないのでイメージが固まるまで大変な一方、キット改造に比べると、より目指す形を忠実に再現できたように思う。
そして、月並みではあるが、やはり達成感がキット改造に比べると大きく、多少は工作に自信がつく。表題の問いに対しては、「正解だった!!」と自信を持って答えられる。……たとえ、近日中に、より素晴らしいキットが出るのが確定しててもな……
さて、ハセガワの新版「天龍」「龍田」だが、既存資料で読み解けない、専ら想像に頼る他ない部分をどう解釈してくるか興味深い。
ホビーショーで公開されたパネル線画では、「龍田」のリノリウムが縦敷きなのだが、決定的資料がないにもかかわらず、メーカー品でそこまで思い切った事をしてきたのが意外だった。
当然賛否両論出るだろうが、これ一つとっても、中々の野心作になるのではないかと期待している。
同型艦を揃えてしまったので、流石に購入するかどうかは微妙だが (笑)